退職あいさつ

定年退職のお祝い会の挨拶用

2024/8/12

これまでの仕事とこれからの仕事

2024年8月12日付で多摩信用金庫を定年退職する。書類を見ると37年間勤めたことになる。

8月9日 退職の手続きにたましんへ

思い返せば、立川市に居住する大学の同級生に誘われて、面接練習のつもりで受けたのがたましんとの最初の出会いだった。当時は23区に住んでいたため、面接官からは「なぜ多摩エリアの会社を受けるのか」と志望動機を何度も問いかけられたが、特に深く考えず、友人について行っただけだったので説明に苦慮した。多摩エリアに特別なゆかりがあったわけではなく、ただ単に山登りや川遊びに興じていた多摩エリアが好きだっただけ。「越境する」。この言葉が好き。今考えれば、入社動機は越境者になりたかったから。未開の地である多摩エリア。知らない街でどんなビジネスを興すことができるのか、この点にワクワクしていた当時の若造くんだった。

当時の人事部は、内定を伝えるために内定者の自宅を訪れるのが普通だった。私の家に来てくれた日は雨だったため、人事の担当者は都会ではあまり見かけない黒い長靴を履いてきた。23区に住む私の家まで、雨の中、その長靴を履いて訪ねてくるその姿に、ものすごいパワーを感じた。

1989年、最初の配属先は武蔵境支店だった。そこで出会った支店長は、私にとって大きな影響を与えた存在だった。信金は兎角、井の中の蛙になりがちだが、その支店長は常に外を見ている素敵な人だった。彼の視野の広さや前向きな姿勢は、私にとって大きな刺激となり、成長へのモチベーションを高めるきっかけとなった。

1988年 支店前で記念撮影

4年目に本部に抜擢される機会が訪れた。この異動がなければ、ここまで長く勤めることはなかった。本部での業務は、それまでの現場とは全く異なる挑戦であり、多くの学びと成長の場であった。本部に行って、宇宙人とも評される先輩たちと仕事をすることになった。彼らの豊富な経験と卓越した知識、そして越境も難なくこなす姿は、私にとって大きな刺激となり、自分自身の成長を促す原動力となった。共に働く中で、彼らから多くのことを学び、自分自身もまた成長していった。

当時のたましんは実に魅力あふれた金融機関だった。自由闊達で若い人の意見もしっかり取り上げてくれ、風通しも抜群だった。本部での業務を通じて、大蔵省や銀行、保険会社、カード会社、支援機関等との連携を通じて、多くの新しい視点やアイデアを得ることができ、それが自分の仕事の幅を広げる要因となった。特に、企画を続ける中で、多くの人々と出会い、共に新しいプロジェクトを立ち上げる経験は、非常に充実したものだった。

1993年頃、金庫内だけのノウハウでは他行に対抗できないことに気づき始めた。大学時代にもっと勉強しておけばよかった。雑誌の広告に法政大学の社会人大学院の募集があった。すぐに申込をしたら、稟議を書いて授業料などを会社負担にしてくれた。そして1995年に卒業した。たましん初の大学院生!!

サラリーマンとしての安定した収入を得ながら、自分のアイデアを自由に実現できる環境も大変魅力的だった。お金をもらいながら自由業のような働き方ができることは、私にとって大きな満足感をもたらした。企画やプロジェクトを進める中で、自分の創造性や独自性を発揮できる場があったことは、何よりも楽しかった。

「団塊の世代が地域に戻ってきた」ということを現場の支店長の気づきから生まれた「多摩らいふ倶楽部」がスタートし、同時に「TAMAら・び」を創刊した。2003年には、たましん法人総合サービスBOBやインキュベーション施設ブルームセンター、多摩ブルー・グリーン賞も創設した。2006年に多摩中央信用金庫、太平信用金庫、八王子信用金庫が合併し、多摩信用金庫になってからはその勢いも増し、東京高専、明星大学、電気通信大学など産学連携にも積極的に推進した。

2006年1月 合併前夜の大平信用金庫本店

2009年12月9日、多摩大学の副学長が事業支援センター長であった私を訪ねてきた。2009年大学の教員とは思えないビジネス感覚が心地よく、すぐに産学連携による地域の活性化を約束した。

次々に新しい仕事を企画すると、それが面白いように通ったのも大きな励みとなった。常にお客様のため、地域のためを考えて行動することが、自然と仕事の成功に結びついていった。お客様や地域の声に耳を傾け、そのニーズに応えるための新しいアイデアを提案し、実現していく過程は、私にとって非常にやりがいのあるものだった。面白くなければ仕事じゃない!!そんな想いだった。

2011年には、課題解決プラットフォームTAMAを設置した。自治体との連携も進みはじめ、調布市、日野市、瑞穂町、昭島市、立川市、西東京市、武蔵野市、福生市、小平市と次々に包括連携協定を締結し協働事業を行っていった。創業支援、事業計画づくり、シニア支援、人材育成、人材採用、地域支援といった具体的な支援内容を進めていった。

多摩CBシンポジウム寸劇風景

私は信用金庫の枠をかなり超えた「多摩の中核企業」としてのポジションで企画を進めることができた。これはたましんの持つ地域密着型の金融機関としての強みを活かしながらも、広い視野で地域経済全体に貢献する役割を担うことを意味していた。このような大きな視野での仕事は、非常に刺激的であり、また誇りでもあった。そして、新しい理事長が就任し、その勢いはますます増した。理事長のリーダーシップのもとで、たましんはさらなる発展を遂げ、私自身も現場監督としてその一翼を担うことができた。

しかし、ひとりでやっている仕事には限界がある。優秀な部下に恵まれると仕事が驚異的に広がることに気づかされる。部下がひとり、そしてまたひとりと増えていく中で、できる限り「信金」ぽくない職員を探し歩いた。自分の目で確かめてひっぱってきた信金では優秀な彼らに、俯瞰力やプロデュース力そして地域の方々と対等にふれあう醍醐味を伝えられることが楽しかった。地域の方や大学の先生から依頼された人材も面談し採用も行った。パートの採用にもかなりこだわった。国や自治体からの出向者の受け入れも30市町村すべてから行うことを目標に積極的に行った。多彩な視点や経験を持つ人材を集めることで、より創造的で革新的なアイデアが生まれた。彼らが発する一言一言で微調整しながら進めた。楽しく働くことで、自然と良いアイデアが生まれ、チーム全体が成長することができた。

部内旅行は奥多摩サイクリング。地域を知らない信金マン達。

もちろん、すべてが順風だったわけではない。合併時の大混乱、プレミアム商品券問題、そして部下の突然の死など、多くことに直面した。今でもあのときに違う判断をしていたらと思う。

その頃からお世話になっている寒川神社。拠り所

2017年1月から、念願が叶い、地域連携支援部がスタートした。地域の中核企業として、行政とも連携を密に取りながら具体的な案件に対処していく。まさに現在も理想形となる組織が誕生した。

2017年12月末の地域連携支援部の納会

2017年12月末、突然の異動を命じられる。知らないのは自分だけだったようだ。言いようのない不快感を感じた。組織の人間であったことを20年ぶりに気づかされた。上に向いて唾を吐くとすぐに戻ってくるという話が頭をよぎる。異動先の部署に興味が全く持てず、上司からは何度となく注意を受けたがやる気にならなかった。あまりにも暇になったので、自宅でジオラマを作ることにした。鉄道やバスの模型を大人買いした。画用紙や針金を使って道を作り、住宅や事業所を作った。ここでもまちづくりをしたいと思うのはもはや病気かもしれない。異動の引継ぎをした後も、様々なプロジェクトの相談を受けた。引き継いでも実らないことも多く、ライフワークとしてそれらの相談にものっていたが後ろめたさもあった。いつまでも変わらず信じてくれて食事や山作業に付き合ってくれる人たちもいた。取引先や関係した方々から転職のお誘いも受けた。自分でどうしたらいいのかわからなくなり、小さな繋がりを使った転職活動も行ってみたが、どこもしっくりくるものではなかった。そんなとき、声をかけてくれたのが多摩大学だった。

2018年 木全ミツさんとの出会い

2019年1月の異動で多摩大学への出向が決まった。大学に行ってからは、元の生活に戻った。金融が教育に変わっただけでやっていることはほとんど同じだ。人生の後半、若者たちと一緒にプロジェクトをやれることはとても幸せだったがいきなりコロナ。オンライン授業を強いられ大混乱。困難な問題、危機的な状況、ストレスにも強く、すぐに立ち直ることができる心の持ちようも大切。お互いにやさしさを持ち、ゆるやかに連携していけるような社会づくり。まちづくりは関係づくり。関係づくりは人づくり。社会に出て恥ずかしくない若者を育てていきたいと今は心に決め日々格闘している。

2019年1月4日 多摩大学松本先生と握手

現在、授業は地域金融論、ビジネスモデル設計、事業構想最新事情、多摩学、グローカルビジネス入門、BE実践I、経営管理入門を担当している。また、ホームゼミや総合研究所で新しいプロジェクトを20本ほど動かしている。自治体や企業の皆さんとのプロジェクトは、学生の学びの機会であるのはもちろん、それ自体が地方創生であることを忘れずに進めている。現在の関心は、高校と大手企業事業所。どちらも信金時代に関わることが少なかったステークホルダーだ。

ゼミ生は37名。日本一企業や自治体に連れていくゼミとして活動している。N教授のカバン持ち(これは本部の人材育成がヒント)、つなぐ力プロジェクト(社会に出て必要なことを学ぶ)を実施中。これから5年間は常勤教員として、大学のためはもちろん、学生のため、地域のために活動していく予定。

お礼

お礼は、一般に用いられる長方形のタオルに、Oyazipanのロゴを大きく入れた。このロゴは、三鷹の小坂氏(イラストレーター)が送ってきてくれたもの。このイラストでどんなに心が救われたことか。朝、顔を洗ったとき、お風呂上りに「でどうするの」って言われたことを思い出してほしい(笑)。皆さんの明日のために少しでも役立てばうれしい。

もう一つはプレーンベーグル。強力粉1800g、ドライイースト小さじ6、砂糖126g、塩36g、水936g。アレルギーだった娘に卵の入っていないパンを食べさせたいと思って習い始めたのは、本部の異動になってすぐだった。18時~20時まで教室に通ってから会社に戻っても、まだ仕事は宴たけなわだった。でも仕事が楽しくて仕方がなかったなあ。その後、2018年1月に異動して仕事が暇でしょうがなかった時に、再度通い始めたプロ向けのパン教室。パン職人になるのもいいかな~と真面目に考えたときもあった(笑)。

2018年1月17日 異動の挨拶に作ったパン

みなさん、長い間ありがとう。そしてこれからもよろしく!!

今日焼いたパン「お礼ベーグル」

お願い

多摩大学及び多摩大学総合研究所は2024年4月で創立35周年を迎えた。現在、それを記念して記念誌を執筆中。多摩大学はもちろん、多摩信用金庫でのさまざまなプロジェクトに取り組んできたことをまとめている。今回は創業支援、事業計画づくり、シニア支援、人材育成、人材採用、地域支援に焦点を当てている。ぜひ情報提供をお願いしたい。

以下のフォームに、皆さんの経験したことをつらつらと書いて送ってほしい。

記入例)2005年~2007年 価値創造事業部 創業支援担当 当時3名、2008年 たまらびの担当(三鷹号と小平号を担当)〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇でとても楽しかった。

情報提供は こちら から。もちろんメールやFBメッセンジャーでもOK。