川崎市の製造業と金融機関の関係

2021/9/5

八王子駅から立川駅まで通勤していたとき、仕事で川崎駅に降りて、コンコースの広さに唖然とした。八王子市は東京都だが、川崎市は神奈川県だから勝手に「劣っている」と錯覚していた。実際に現場を訪れて、文献調査や統計調査を行っていくと、あまりの格差に驚くことばかりだ。今回は、川崎の製造業と金融機関について調べてみようと思う。

2021/9/3 川崎駅コンコース

まずは、川崎市が誕生した1924年。この時点で市内にあった金融機関は以下のとおり(川崎市史)

金融機関名支店名開設年月日現在
合資会社 石橋銀行中原支店1928年廃業
株式会社 玉川銀行本店、御幸出張所1932年任意解散
株式会社 大師銀行本店大和銀行-りそな銀行
株式会社 横浜銀行1932年免許取消
株式会社 共信銀行1930年廃業
株式会社 横浜興信銀行 1920/12/25 元七十四銀行の店舗、横浜興信銀行の営業開始時の11カ店のひとつ 現在、横浜銀行
株式会社 第三十六銀行日本昼夜銀行→安田銀行→富士銀行 →みずほ銀行
株式会社 神奈川県農工銀行日本勧業銀行→第一勧業銀行→富士銀行→みずほ銀行
株式会社 安田貯蓄銀行川崎支店1921/5/25?日本貯蓄銀行→協和銀行→協和埼玉銀行→あさひ銀行→現・りそな銀行川崎支店?
大師無尽合資会社三井住友銀行?
金港無尽株式会社三井住友銀行?
有限責任 川崎信用組合現・川崎信用金庫
保証責任 中原信用利用組合現・川崎信用金庫
川崎市史をベースに筆者修正中

「戦後、川崎の臨海地区に現れた巨大なプラントは、ほとんどが銀行借入れによって建設された。川崎に工場をもつ事業所の中では、本社が東京の銀行本店で調達する資金では足りず、本社の命令により、川崎の各種金融機関から広く浅く資金を調達することになり、取引金融機関が10校以上ということもあった。この時期、大工場の納入代金は手形で支払われた。下請業者は厳しい納品検査に合格するため技術向上に努めただけではない。貰った手形の換金にも苦労したのである。中小企業専門の金融機関、商工中金、農協は、手形割引という形で中小企業の要望に応え、間接的には国際競争力のある大企業を育てる影の資金援助者でもあった」(川崎市史)とある。